ホルタル(ゼネスト)を再考してみます。
バングラデシュを含め、インドやパキスタン、スリランカやネパールなどの南アジア諸国での政治表現として「ゼネスト」が行われる事があります。
土地土地で名前は代わり「ホルタル」「ハルタル」「バンダ」などと呼ばれます。
もともとはインド建国の父ガンジーが提唱した運動と言われていますが、ガンジーは「非暴力・不服従」で知られています。
「不服従」、店や商店を閉め公共交通機関を動かさないという、いわゆる経済活動を一切行わない事で、当時の駐留していた宗主国のイギリス人に対抗したという事です。
「我々はあなた達に協力しない」という意思の表れです。
現在バングラデシュでも、ある団体による「ホルタル」が宣言されると商店や公共交通機関などが止まります。
と、いうかホルタルを宣言した団体のサポーターが、「我々に賛同しないと痛い目にあうぞ」とばかりに経済活動を行っている交通機関などを襲う場合があるのです。
結局、一般市民は、ホルタルを宣言した団体の理念に同調したわけでもないのに「危険回避」の為に経済活動を停止する、という状態が起こっています。
これはガンジーが提唱した「非暴力・不服従」と真逆をいっています。
「不服従」と言いながら、一般市民はホルタル宣言団体の考えに「服従」を強いられ、それに服従しない者は「暴力」を持って強制的服従を強いられる。
これは南アジアの悪習だと考えています。
一方、ホルタルを宣言した団体は、市内の中心地で自分達の考えを主張する行進などを行います。
人数集めの為に、適当な人間にお金を与えて、デモに参加させるなどをしてデモの大きさを主張します。
そこで警察隊と衝突、という訳です。
社会主義国のような「集団主義」でなく、民主主義国である限り、国民の間に主張の違いは存在するのは当然です。
それをどのように吸収していくか、に各国の違いが現れます。
台湾や韓国の国会名物のように大乱闘もありますし、フランスではトラック業界による大規模なストライキが有名です。
アメリカでも1994年、メジャーリーグ選手会のストライキによりワールド・シリーズさえも中止になりました。
わが日本の政治の舞台にも「強行採決」という、強行な方法も存在するのは否定できません。
しかし南アジアのゼネストに関しては困る事は、その主張に相いれない一般市民にも同調を促されるところです。
結局、規模が国全土に渡り、経済活動に支障が出ます。
政争の為、国民を顧みず1年ごとに首相が変わってきた日本が言うべき所でもありませんが、せっかくバングラデシュを含め南アジアが一つの注目すべき経済圏になってきた背景の中で、このようなネガティブイメージはあまり好ましくありません。
ホルタル宣言者には一定の自制を、また海外メディアはネガティブ・イメージだけを切り取った報道をしないように、促したいところです。